コミュ力という言葉が嫌いな理由とは?

「コミュ力」という言葉を嫌いだという人が世の中には存在します。このような人たちはなぜ、「コミュ力」という言葉や概念そのものを否定するのでしょうか。

1.コミュ力がなくても生きられるから

コミュ力という言葉を嫌う人は「コミュ力がなくても生きられるから」という理由を挙げることが多いです。ネットが発達した今の時代、インターネットで情報収集ができ、パソコンで仕事ができ、買い物もインターネットで完結するなど、家から出ずとも、人と対面せずとも生活ができるようになりました。

つまりコミュニケーションが無くとも、十分生活していくことが可能なのです。コミュ力の高さや低さに関係なく、何かに失敗すること、人生で躓くことは誰にでもあります。世間では、コミュ力の重要性が謳われていますが、必ずしも人と話せるから生きやすく、生活が豊かというわけではないのです。

2.コミュ力がなくてもできる仕事はたくさんある

コミュ力という言葉が嫌いな理由として「コミュ力がなくてもできる仕事はたくさんある」という理由もあります。仕事においてコミュニケーションが1番大事と言われがちな世の中ですが、コミュ力がなくともできる仕事はたくさんあります。

現在はパソコンスキルがあればいくらでも在宅で仕事ができ、パソコンが苦手であっても、新聞配達やポスティング、工場作業員などのコミュ力がなくてもできる仕事があるものです。それを考えれば、コミュ力がなければ良い仕事ができないという考え自体を嫌いになってしまうのも仕方ないでしょう。

3.空気を読むことが正義ではない

日本人は場の空気を読めとか、あのひと空気読めないよねなどと、よく言います。そして、空気が読めないと、あの人はコミュ障だと非難されることもあるものです。しかし、空気を読んで場を丸く収めることだけが正しいとは限りません。いつも流されて自分の主張を曲げていると、いざ自分で決定しなくてはいけない局面に立った時、何も決められなくなってしまいます。

また、空気を読まずに、みんなと違うことをやる人は、自分だけのアイデアや考え方を持っている人です。それを考えれば、空気を読まない人こそが発明家であり、重宝されるべき人間なのです。そのためこのような考えを持っている人は、空気を読んでコミュ力を鍛えるという話を聞くと、不快感を覚えてしまいます。

4.コミュ力がないだけでダメ人間の烙印を押されるから

コミュ力という言葉を嫌う理由の1つに「コミュ力がないだけでダメ人間の烙印を押されるから」というものがあります。現在世間では、仕事でも恋愛でも何かとコミュニケーションの重要性が取り上げられています。逆を言えば、コミュ力が低い人は「ダメ人間」と言われてしまうということです。

1度「ダメ人間」の烙印を押されてしまうと、他に得意なことや自信があることがあっても、他者から認められにくいといった状況を生み出します。コミュ力の有無だけで「人間性」を決められてしまうのです。コミュ力は確かに大事ですが、その他にももっと大切な要素が存在することを認めてくれない人が多いため、コミュ力という言葉を嫌いになってしまう人も存在します。

5.創造力や知識など他に大切なものがたくさんある

「創造力や知識など他に大切なものがたくさんある」からコミュ力という言葉が嫌いという人もいます。例えば仕事において、どんなにコミュ力が高くとも、創造力や知識がなければ、事は前に進みません。

コミュ力の高い人ばかりで集められたチームと知識が豊富な人たちばかり集められたチームでは、後者のほうが確実に成果を出せるでしょう。それを考えればコミュ力は仕事をする上で、もっとも重要な能力ではないということになるため、世間的にコミュ力を重要視する流れを嫌う人がたくさん存在するのです。

コミュ力の重要さは人それぞれ

コミュ力について紹介してきましたが、コミュ力が高ければ社会でかなり生きやすくなるでしょう。とはいえ、コミュ力がなければ全てが終わりというわけではありません。コミュ力を上げることもできますし、コミュ力を必要としない生き方を選ぶこともできます。あなたの価値観に最も沿った生き方を選び、人生を満足させていくことが大切です。