「生まれてきてごめんなさい」と思ってしまうという人はいませんか?
まず結論として、あなたは悪くありません。あなたは誰かの希望なんです。
今回は「生まれてきてごめんなさい」と思ってしまった人の体験談やエピソードを紹介していきます。
もくじ
「生まれてきてごめんなさい」と思ってしまう
「生まれてきてごめんなさい」と思ってしまい、苦しんでいるという人もいるのではないでしょうか。
自分が誕生したことに価値を見出せず、生きていることが苦しいと考えてしまうと、このようなことを思ってしまいますよね。
他にも、親から必要とされなかったり、親に迷惑をかけてしまったりすることで、こう思う人もいます。
しかし、誕生したことを謝罪しなければいけない命など、この世のどこにもありません。
あなたが生まれてきたことは、間違いなく正解なのです。
そのため、「生まれてきてごめんなさい」と誰にも謝る必要はないのです。
「生まれてきてごめんなさい」と毒親に思わされた体験談・エピソード
僕の両親は物心ついたときから、いつも喧嘩ばかりしていました。
特に母親の気性が荒く、機嫌が悪いときは僕たち子供に対して、暴言を吐くこともあったのです。
その中で忘れられないのが、
「あんたがいなければ良かったのに」
「あんたなんて産まなきゃ良かった」
「あんたがいるせいで、私は不幸なの!」
というような言葉です。
今は、この言葉は間違いで、僕を大事に思ってくれている人がいることを理解しています。
母親はいわゆる毒親と呼ばれる存在で、僕がおかしいのではなく、母親がおかしいこともわかっています。
しかしそれでも、ふとしたときに「生まれてきてごめんなさい」と思ってしまう自分がいます。
今は事情を理解する彼女と一緒に、少しずつ前を向けるように頑張っている最中です。
母に迷惑をかけて「生まれてきてごめんなさい」と思った体験談・エピソード
私は小さい頃、自分が生まれたときの話を親戚がしているのを聞いてしまいました。
父は妊娠がわかったときに母の元を去り、親戚は全員、私を中絶したほうがいいと言っていたようです。
しかしそれでも母は私を生んだのですが、母はいつも仕事を掛け持ちしていて、忙しそうでした。
そんな母を見て、親戚たちは「あの子さえ産んでなきゃ苦労することもなかったのに」と言っていたのです。
私はそれを知ってから、母に対する「生まれてきてごめんなさい」という感情が消えなくなってしまいました。
母は過労で倒れたこともあります。そのため、ずっと罪悪感が消えなかったのです。
しかし私が二十歳を迎えたとき、母からある一言を言ってもらいました。
「私のもとに生まれてきてくれてありがとうね」
この言葉を聞いて、心のモヤモヤがなくなっていったことを覚えています。
今でも母は私にとって世界一大切な人です。
何もできなくて「生まれてきてごめんなさい」と思った体験談・エピソード
僕は昔から何もできなくて、自分の存在価値がわからなくなってしまいます。
僕は私立受験も失敗し、大学受験も失敗してしまいました。
就職しても心を病んでしまい、一年で退社することに。
両親は僕に優しくしてくれますが、その優しさが辛いです。
両親のために僕は何もできていない。その現実が「ごめんなさい」という感情を持たせてしまいます。
実は最近、両親に「生まれてきてごめんなさい」と言ったことがあります。
両親は涙を流しながら、「そんなことない」「生きてくれているだけで幸せだ」と言ってくれました。
少し心は軽くなりましたが、まだ完璧ではありません。
自立できる人間になって、なんとか両親を安心させたいと思っています。
「生まれてきてごめんなさい」という思いを無くすために!
「生まれてきてごめんなさい」という思いは、そもそも抱く必要のない感情です。
誕生したことはあなたの意志ではありません。両親の意志です。それを考えれば、両親はあなたを産みたいと思って産んだということになります。
何かがうまくいかなくて、両親からひどい言葉を言われることもあるでしょう。
自分に自信が持てず、命の意味を考えてしまうこともあります。
しかし、大きな成果はなくても、あなたは誰かを助けられる人です。
誰かに自分の経験を踏まえて、メッセージを届ければ、それは誰かの救いになります。
ゴミを拾うことでも良いし、誰かを笑わせることでも、荷物を持ってあげることでも、誰かを愛することでも良いでしょう。
それは全て、誰かにとっての救いです。つまり、あなたは誰かにとっての希望なのです。
そのため、「生まれてきてごめんなさい」と思う必要はありません。
あなたが誕生したことは間違いなく正しいことで、素晴らしいことであるということを、しっかり自覚してください。
今必要なこととは?
様々な事情で、複雑に自分の存在意義を捉えてしまう人もいますよね。
しかし物事はもっとシンプルです。
動物が自分のことでそこまで悩んでいるでしょうか。
みんながみんな、自分に価値を見出して生きていると思うでしょうか。
隣の芝生は青く見えるということわざもありますが、自分以外の人間は全て素敵に見えてしまうものです。
みんながみんな、万人に誇れる人生を送っているわけではありません。
誰もが間違いを繰り返し、その中で一歩一歩、人生を歩んでいます。
そのため、一つの物事を難しく考えず、もっと楽観的になることも大切なことです。
広い世界で多くの人と出会おう
誰もが「生まれてきてごめんなさい」と謝罪する必要はありません。
誰かに否定されたとしても、別の誰かがあなたを肯定してくれますし、また必要ともしてくれるものです。
そのため、狭い世界で縮こまらず、広い世界で様々な人と出会い、「生まれてきて良かった」と言える人生を送りましょう。