「共感性羞恥持ちだから見ていてきつい」と言う人がいますよね。
しかしこのような発言をされると、正直うざいと感じてしまう人がいます。
では、なぜ共感性羞恥持ちであることを告げると、うざいと思われてしまうのでしょうか。
「共感性羞恥持ちだから…」がうざいと感じる理由6つ
共感性羞恥とは、他人が恥をかいたり、失敗していたりすると、それを自分のことのように捉えてしまい、恥ずかしさを感じてしまうことです。
この共感性羞恥という言葉はSNSなどでもよく見かける言葉で、誰かが失敗して笑われている動画のコメントなどに、よく書かれます。
しかしなぜ、共感性羞恥と言うと、うざいと思われてしまうのでしょう。ここからはその理由を解説していきます。
1. 共感性羞恥を感じるのは特別なことではないから
共感性羞恥は、人間にとって自然な感情の一つであり、多くの人が日常的に経験しています。
例えば、テレビ番組で他人の恥ずかしいシーンを見たり、職場の同僚が失敗をしたりした時などに共感性羞恥を感じることがあります。
そのため、この感情を持っていること自体は特別なことではありません。
「自分は共感性羞恥持ちだから」と言われると、「普通のことじゃん」と思ってしまうため、わざわざそんなことを言ってくる人をうざいと思ってしまうのです。
2. 自分が特別な人だとアピールしているように見える
「共感性羞恥持ち」という言葉を使うことで、特別な人であるとアピールしているように見えるという人もいます。
まるで人にはない特別な感覚を、自分は持っていると主張しているように見えるのです。
実際にそうであれば、それは自己顕示欲を満たすための行為でしかないですよね。
確かに、誰にでもある感覚なのに、しつこく共感性羞恥持ちだと言われれば、アピールに聞こえることもあるでしょう。
自分の個性を、共感性羞恥というありふれた感覚で主張しているように見えるため、うざいと思ってしまうのです。
3. 最近覚えた「共感性羞恥」という言葉を使いたいだけに見える
「共感性羞恥」という言葉は、最近よく話題になっているため、知っていること自体を自慢しているように聞こえることもあります。
最近覚えた新しい言葉を言うことで、「それどういう意味?」と質問されることを期待し、マウントを取っているように思えるのです。
また、最近覚えた言葉って、なんとなく使いたくなるものですよね。
何度も共感性羞恥という言葉を連呼されたり、脈絡もなくそんな言葉を言われると、それを聞いた人は最近覚えた言葉を披露したいだけなんだろうなと思ってしまうため、うざいと感じてしまうのです。
4. どう返事していいのかわからないから
「共感性羞恥持ちだから見ていてきつい」と言われると、どう返事すればいいかわからないですよね。
「そうなんだ」くらいしか言うことがありません。
周囲の人々にとっては、その人の意見や感情が読み取りづらいため、うざく感じられてしまうのです。
5. 「自分は共感力が高い」と言っているように聞こえる
「共感性羞恥持ち」という言葉を使うことで、自分自身が共感力が高いことを示唆するように聞こえることもあります。
また、自分自身を「共感的な人間」と位置付けることで、他人より優れていると思われることを狙っているように思われることもあるものです。
このようにして自己顕示欲を出されると、うざいと感じてしまいますよね。
実際には、共感性羞恥を感じる人々は多く、それぞれが自分なりの方法で対処しているものです。
共感性羞恥持ちであることを特別視せずに、普通の感情として受け止めればいいのにと思われてしまうため、うざいと思われてしまうこともあります。
6. 難しい言葉を使いたがろうとするのが腹立つ
「共感性羞恥持ちだから見ていてきつい」という表現は、意図的に難しい言葉を使うことで、自分自身が知識や経験が豊富であることをアピールしているように聞こえる場合もあります。
このような状況だったら、ただ単に「見てられない」と言えば十分ですよね。
「なんか恥ずかしい」「こっちまで恥ずかしくなってきた」という言葉でも良いです。
わざわざ共感性羞恥という難しい言葉を使う感じが、妙に癇に障るため、うざいと思ってしまう人もいるようです。
注意しておこう
共感性羞恥という言葉はよく使われますが、だからこそうざいと感じてしまう人も増えてしまったのかもしれませんね。
確かにあちこちで同じ言葉を聞くと、その言葉が気になってしまいます。
そのため、共感性羞恥という言葉を使うときは、少し注意しておいたほうがいいかもしれません。