「読了」とネットで漫画や本を読んだことを報告する人っていますよね。
しかしこの「読了」という報告、案外不評で、なかには気持ち悪いと感じてしまう人もいます。
そこで今回は、「読了」と言う人を気持ち悪いと感じる理由について解説していきます。
「読了」と言う人を気持ち悪いと感じる理由4つ
読了とわざわざネットで報告する人がいますが、なぜこのような人に対して拒絶反応を感じてしまうのでしょうか。ここからはその理由を解説していきます。
1.自慢やアピールに見える
「読了」という書き込みは、自分が何かを読み終えたということをアピールするものですよね。
そのため、自慢されているように感じる人もいます。
「自分はこんな意識の高い本を読むような人間なんだ」というアピールに聞こえるのです。
特定の本やジャンルを多く読んでいることで、自分が知的であるという印象を与えようとしているように見えてしまいます。
周囲から見れば、そういった書き込みは傲慢に映ることもあるため、不快に感じる人もいるのです。
2.情報の価値がない
「読了」という書き込みには、他の人にとって有用な情報が含まれていませんよね。
そのため、情報を求めている人にとっては価値がないものとなります。
例えば、本の感想や要約、おすすめポイントなどがあれば、その本に興味のある人にとっては有用な情報となるでしょう。
しかし、「読了」という書き込みだけでは、その本に興味がある人にとっても、何を読んだのか具体的にはわからないため、不快感を感じてしまうのです。
3.自己満足な書き込みと受け取られる
「読了」という書き込みは、自分自身の読書に対する達成感を表明するものですよね。
それは他人にとって、興味深いものではありません。
ただの自己満足な書き込みを目にしただけということになります。
それをあえて人目につく場所で、さらにハッシュタグなどもたくさんつけて投稿されると、そんなに自己満足の言葉を人に見て欲しいのかと思ってしまいますよね。
自己満足的な書き込みは、他人に共感を得られず、場合によっては孤立する原因にもなるため、注意が必要です。
4.一方的なコミュニケーションだから
「読了」という書き込みは、他の人からの反応を期待していない、一方的なコミュニケーションですよね。
コミュニケーションの本質は、お互いに情報や意見を交換し、相手を理解することにあります。
そのため、読了と言われたところで、どう反応していいか他の人はわからないでしょう。
いったい何をしたいのか、何を求めているのかわからないため、気持ち悪いと思われてしまうこともあります。
流行り言葉
「読了」という言葉は最近、よく使われますが、たくさん使われているから嫌だと感じる人もいるでしょう。
みんなが使っているから、その流行りにのって使っているだけに見えてしまい、そうして自分の意思などなく簡単に流行りになってしまう精神性を、気持ち悪いと感じてしまうのです。
とはいえ、けっして「読了」という言葉を使うことは悪いことではありません。
なかには、「読了」という言葉を使う人を、斜めから見る人もいるということです。